badminnton’s diary

badmintonが一生の仕事

なぜかやめられない バドミントン

バドミントンはかなり激しいスポーツである。オリンピック選手のプレーを見たことがある人なら想像つくと思うが、ほぼ止まっていることがない、スピードの速い競技である。スピーディーに反応できるかどうかがカギを握るといってもいい。

 

それが57才になった今でも地元のクラブチームに所属して週に3回から4回は練習している。下手すれば毎日練習することもある。

腰の痛みが出てきているし、股関節もうっすら痛い、体が硬くなってきていることも意識している。もうやめてしまおうかと何度も思った。

しかしもう20年は続けている。三人の子どもがいいるが長男が小学校2年生の時PTAのバドミントン部にはいった

まだ下の子は幼稚園と2才だった

子供中心の生活を送っていた世界が急に広がりを見せた。自分の楽しみの時間を持ったのだ。それも自分の得意な分野だ。運動神経には自信があった。

しかし不器用な自分には難しい競技だとも思った。

器用さセンスの良さが重要だと気付き始めた。自分はどちらも持っていない。

パワーと反応の良さだけで続けていた。

スポーツはストレス解消だというが、むしろストレスを生み出すものだった。

練習しても練習しても上達が難しい。やるべきことが多すぎて途方に暮れそうになる

 

ダブルス競技なので人間関係も発生する。30人ほどのクラブ員の中でバドミントンの練習をやっていると、様々な人間関係が見えてくる。当然バドミントンのレベルの差がいろいろある。年齢も様々。

普段成熟した大人の振る舞いができるようになったと思っている年齢であるのに、この競技が始まると子供に立ち返る

ダブルスのペアのミスに苛立ちを覚え、言葉で注意をするひとがいる。ミスの原因はペアだけのものではないかもしれないにもかかわらず、早い展開のスポーツ中自分の認識できる範囲だけでペアのミスの指摘をしてしまう。

そもそも自分が出した球のせいでペアがミスしていたとしても、それを気付くことができないレベルの中でスポーツを楽しんでいるのだから、そこは大人としてあきらめるしかない。

対策としては、ペアとして上達を真剣に考えるのならば常にミスの原因を頭で考えていなければならない。

自分のレベルが上がらないことで、大きなストレスを抱える。

これ以上このスポーツを続けても意味があるのか迷うこともある。

そんなバドミントンライフを送っているのだが、不思議にやめられないのだ。

間違いなくドーパミンという麻薬のせいなのだろう

いつかドーパミンが尽きるときまで続けるのだろうか